illの中のill

オタク活動備忘録

M.I.B、死なずに戻ってこなかったな

正月休みが終わる。

年末に何度か、以前書いたドルオタ就活記事へのアンサーとして新卒新入社員がキラキラやりがい搾取企業で疲弊していく記事や、怒涛の展開を見せたMAGiC BOYZを1年間追いかけた総括を書こうとしては書ききれずに断念していた。

そしてBGMや背景のようにぼんやり受け止めていた、SMAPの解散劇。

いや、SMAPだけじゃない。DISH//が新メンバーとして元カスタマイZの大智を迎えたり、Dream5が解散したり、ここ数日だけでも形を変え行くアイドルと受け入れられないオタクの姿を目にした回数は数知れない。

 

それなりに長い期間国籍問わずアイドルを応援しているので、アイドルグループの解散や脱退に関してじんわりと麻痺している。

好きだったグループが裁判沙汰になり分裂・膠着状態になったこともあれば、1年のうちに2人辞め2人小学生が加入し1人辞め1人37歳が加入することもあれば*1、解散炎上商法をしてはなかなか解散しないこと*2もあった。

アイドルを追う上で、解散や脱退はいつか向き合わなければならない宿命である。

先ほど麻痺していると書いたが、正確には麻痺しないとオタクなんて到底やってられない。

 

そんなことを考えたり考えなかったりしていた2017年1月4日、ひとつのグループが正式に終わりを迎えた。

エネルギーを総動員して彼らを追いかけていた期間は僅か半年ほどであり、現場数もその後通い始めたEBiDANに比べれば少ないなんてものではない。

それでも、あの頃の好きだった気持ちはすぐに思い返すことができる。

 

2011年にデビューしたもののなかなか日本に来なかった時期。康男(Kangnam)がいるからきっとすぐ来てくれると思いきや、IDチェックがある深夜のクラブが初来日現場で当時未成年だった私はひどく落胆したことを覚えている。

チャンスが巡ってきたのは2013年、東名阪ツアーで大須E.L.Lにやってきた。

普段地元のバンドがライブするような狭い箱ではあったけれど、会いたくて会えなかった時間が長かった分、初めて東方神起のコンサートを見に行ったときのような、画面の向こうのきらきらした男たちが目の前でラップしているという感覚はその後ののめり込みを予期させるには十分すぎるものだった。そして、5zicに恋焦がれるようになった。

 

5zic(現zick jasper名義)は性格も出自もラップスタイルもバラバラすぎる4人のリーダーだった。美少年ばかり好きで追いかけていた当時(わりと今もだが)肩から肘にかけてびっしり彫られたタトゥーは衝撃的だった。

ラッパーになりたい思いから早い段階で兵役もさっさと済ませており、あまり好きにならないタイプの大人の男性。

とろっとした系統の顔立ちとタトゥーの対比であったり、低音やがなりが魅力でありつつ他メンバーのスタイルを鑑みて重すぎないラップであったり、とにかくバランスの良さが際立っていた。その上色気がだだ漏れているので好きにならないという選択肢が残されなかった。

リアコという言葉を知る前だったがまさしくリアコだ。

 

その後は転がり落ちるように、現場に行っては踊り、アピールをし、病んで泣くというパリピなんだかメンヘラだかよくわからないことを繰り返した。

彼らがきっぱり潔く『アイドル』だったら、接触イベントの時間を設けていたら、きちんと一線を引いて接触の機会だけで5zicに好きだと伝えていたと思う。

私は5zicのラップが本当に好きだけれど、中途半端に『アーティスト』だったせいで気持ちの落とし所が見つからず暴走してしまっていたと今なら振り返ることができる。

 

それでも、疑似恋愛だけで通っていたわけではなかった。

本当に楽曲は良かったし、演者がバキバキに踊らずとも踊らせてくれる楽曲と煽りと楽しもうという気持ちがあれば最高のライブ体験が出来るということを教えてくれたのは彼らだ。

公式でペンライト売ってるのにも関わらず、私が知るオタクは皆手ぶらで手を挙げて踊るのを好んでいた。

最終的に現場内外でのマウンティングに疲れてしまい離脱したのだけれど、ライブの最中はこの瞬間を楽しみたい、音を感じて踊りたいという空気感が好きだった。

それは今通っている現場で自分が大事にしていることのルーツでもある。

新木場STUDIO COAST、日本でCD出してないのに満員にできたのって冷静に考えれば本当に凄いことだった、気づくのが遅かった。

踊りたくても身動きがとれないほど熱狂したSTUDIO COASTの最前で、私はそれに気づくことが出来ないまま離れてしまった。

先のマウンティング疲れと、掛け持ちできない性分なのでその頃通い始めた超特急にシフトしてからは顔を出すこともなくなった。

いつか落ち着いた頃にまたラップ聴きにいこう、くらいの気持ちで。

 

その年の夏、開催されるはずだったファンミーティングが立ち消えた。

他のアイドルでも似たような手口でチケット代だけ巻き上げ、興行自体が無いことになっても返金をしない悪質な企画会社によるものだった。

私はチケットを買っていなかったが、被害にあった友人は少なくなかった。

このあたりから彼らから離れるオタクが目立ち始め、その先の活動に暗い影を落とし始めた。

いくらアイドルではないと彼らが主張したところで、時は2014年。デビューしてから2年経ち、同年デビュー組のアイドルが支持を集めていく中でのこの現状。

時が経つにつれて、メンバーは個人での発信が増え、康男はバラエティーで売れっ子になっていく。

彼だけを責めるつもりは全く無いけれど、「歌手やってたけどいつまで経っても売れなくて〜」というノリでグループでの活動について触れる度に苦しかった。本意であったかなかったかは、今はもうどうでもいい。

気づくと日本のバラエティに進出していたり、グループ時代のことは無かったことにされるまでになっていたり。

 

現場に行かなくなってから一度だけ、5zicがzick jasperに名を変えたあと、原宿のアストロホールで行われたワンマンに行った。

大好きだった5zicと5zicが作った楽曲にまた触れられて嬉しかったけれど、思い出の中の4人にはどうやっても勝てなかったし、終演後のハイタッチ会ではあの時と変わらない優しい眼だけど、私のこと1ミリも覚えてないんだなとひしひしと感じて辛かった。

 

非常に一般的な表現しかできないのだが、心のどこかでまた4人で舞台に立ってくれるんじゃないかって信じていた。

2014年の春にリリースした『치사 Bounce』という楽曲にこういった一節がある。

 

작년에 왔던 MIB가 죽지도 않고 또 왔네

쏟아지는 가요들 속에서 죽지도 않고 버텼네

(去年やってきたM.I.Bが死なずにまた来た

 降り注ぐ曲の中で 死なずに生きていた)

 

彼らの意思ならもうなにも言うことはできないが、

死なずにもう一度くらい帰ってきてM.I.Bは死なないって言ってほしかった。

これが我儘なのか、解散麻痺したはずの私にももう分からない。

 

 

 

 

*1:MAGiC BOYZの怒涛の展開のこと

*2:Stereo Tokyoの1万枚売れたら解散、マラソン完走できなければ解散といった企画